野良時計の物語 高知新聞ミリカに掲載

高知新聞のフリーペーパー「ミリカ」に、

安芸市の野良時計の写真と記事を掲載しました。 

約140年前、明治時代中頃、

1人の青年が米国製の掛け時計を分解しては

組み立てることを何度も繰り返し、

時計の内部構造を習得。

ついには一つ一つの部品すべてを手作りして

巨大な時計を完成させました。

青年の名は畠中源馬さん。

時計も普及していなかった時代に、

畑仕事をしながら時間を確認できたことから、

いつしかその時計は「野良時計」と呼ばれ、

地域の人たちから親しまれるようになり、

目の前の道路も「チクタク通り」と、

童謡「大きな古時計」を連想させる名前で呼ばれています。

 「大きな古時計」は、おじいさんが亡くなった後に動かなくなりますが、

源馬さんの孫の妻で94歳になる昭子さんによると、

野良時計は「壊れてはいませんが、壊れるのが怖くて動かせないんです」とのこと。

 野良時計のある土居地区では毎年、

地域の人たちが総出で2万本ほどのひまわり植えてきました。

ひまわりが見ごろを迎える7月中旬には、

黄色に染まった畑が野良時計に彩りを添え、

家族やカップルなど写真を撮る行楽客で賑わいます。

「これからも協力して花いっぱいの地域にしていきたい」と

安芸市立土居公民館の大寺久美夫館長。

 今は時を刻むのを止めた野良時計ですが、

これからも地域の人たちの心の拠り所として、

郷土愛を育むお手伝いをしていくことでしょう。

写真は、偶然お会いしたマックスイダさん家族の

しあわせのワンシーンを撮影させていただきました。

ありがとうございました。

高知新聞ミリカには、2017年から連載を続けています。

LIFE is PHOTO合同会社では、写真撮影、映像制作のみならず、

記事の執筆や取材コーディネートまで承っております。